平成16年(2004年)7月18日(日曜日)
今週の本棚より 富山 太佳夫 評
ジムルターン インゲボルク・バッハマン著 大羅志保子訳 2310円
植民地とナチスのあとの人生は・・・
選挙投票小説。かりにそのようなジャンルがあるとしても、今の日本ではロクな作品が書けないだろう。それくらいのことならば私にだって簡単に断言できる――ところが、時と場所が違えば、そうとばかりも言いきれないようだ。
(中略)『ジムルターン』(一九七二年)に収められた五つの作品に共通するのは、動きのとれない戦後の世界の雰囲気である。そこには女たちの日常が描かれているだけのように見えるが、そうではない。それは動くことを、そしてそれが何かにつながることを禁じてしまう世界である。「わたしが動かなければ、わたしたちは落ちはしないわ。彼女は泣きたかったが、泣くことができなかった」(「ジムルターン」)。そうした想いの先にあるのは――二つの作品を強引につなげてしまうのならば――「血を流しながらそれでもまだ彼女はこう思った。これは何でもないわ、何でもないのよ、だってわたしにはもう何も起こるはずがないんだから」という言葉である。
バッハマンの描く女たちの心の世界は、作家としての彼女の実体験に対応するだけではないだろう。あのナチの時代のオーストリアで成長した彼女の言葉の中には、時代の重圧の影も落ちているはずである。植民地支配とナチスによる支配、その歴史の影の中で書かれたまったく異なるタイプの二つの小説―そのいずれかをではなく、私はその両方をとる。両方ともがすぐれた文学作品だから。