「毎日新聞」

平成15年(2003年)12月28日(日曜日)

本と出会う―批評と紹介より
ベルリンサロン ペートラ・ヴィルヘルミー=ドリンガー著
糟谷理恵子 斎藤尚子 畑沢裕子 林真帆 茂幾保代 渡辺芳子訳 6090円

 年に一度くらいは、とりわけクリスマスの時期になると、偶然の幸運に感謝したい心境に陥ってしまう。目下、私はそのような心境のまっただ中にいる。その理由は単純、眼の前に二冊の本があるからだ。そのひとつは『サロンの思想史―デカルトから啓蒙思想へ』、もうひとつは『ベルリンサロン』。パリのサロンとベルリンのサロンを扱ったこの二冊は、この順に続けて読むべきである。(中略)後者は、「私は文化史研究所でハインツ・ドリンガー教授の指導を受け、教授はやがて私の夫となりました」というドイツの文化史家の本―なんとなくサロン的。
(中略)赤木夫妻はルソーを「アンチ・サロンの思想」家とみなしてそこで本をひとまずおえるのに対して、『ベルリンサロン』の方はそれを引き継ぐかたちで、まさしくそこから始まる。「一七八〇年から一九一四年までの時代に、ベルリンのサロンは九十を越え、詩人、哲学者、神学者、自然科学者、政治家、経済人、王子、学生、女優、家庭の主婦、画家、彫刻家、音楽家など、数え挙げればきりがないさまざまな人たちの交流の場だった」。これで見ると、どうやら労働者と売春婦と犯罪者以外は誰でもサロンに顔を出せたということになる。要するに、「ひとりの女性が主宰する水準の高い」集まりとしての「ベルリンサロンは、パリのサロンがすでに二百年以上もの歴史を持っているころになって遅ればせながら成立した」のである。
 著者が豊富な資料を使って見つめようとするのは、思想史が軽やかに受肉する場としてのサロンではなくて、後進国ドイツが直面した多領域の問題を検討する場としてのサロンである。それは主催者となる女性の名前を冠して語られるサロン(ランブイエ公爵夫人のサロン等々)ではなくなって、討究される分野とテーマによって分類されるものとなる。「ベルリンサロンは……<教養市民階級的な>現象で、成立期においてすでに、市民や国民の、さらにまた世界市民の思想の所産を討論するフォーラムとなった」。「ヴィルヘルム二世時代の政治サロンと銀行家サロン」というような論じ方をするしかなくなるほど、変貌してゆくのである。この二冊は、期せずして、独仏の興味深い文化史、思想史を構成する。
富山 太住夫 評

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