『小説 永井荷風』  


毎日新聞 読書欄 2008113

                       丸谷才一評

………つい見落としていたが、読んでみるとおもしろいし、わたしが調べた限り川本三郎が『週刊朝日』で紹介したほかはどこも扱っていない。

『小説 永井荷風』は三十数年前に完成していたものだが、永井家の許可が得られず、出版されなかった。著者が文学者永井荷風に絶大な尊敬を献げながら、人間としての彼に否定的なせいか。しかし小島は「血の冷たいエゴイスト」と痛烈に避難しながらも、アナトール・フランス『ボードレール論』の最後の一句を引いて総括する。『なるほど、人としてボードレールは嫌悪すべき人間であるという説に私も同意する。しかし、彼は詩人であった。それ故神で──いや、神に比すべきものであった』と。この両面を見る公平な態度が『小説 永井荷風』の第一の特質である。

 「小説」とは作者小島との関係が芯になっている荷風伝という意味で、つまり「私小説的」か。彼は『あめりか物語』に陶酔し、荷風に教わりたくて三田の文科にはいったのだが、終生認めてもらえなかった。当然この伝記には、熱烈な敬愛の念が酬いられなかった愛読者の恨み節の側面がある。しかし文学の鑑賞者としての小島の感覚が鋭いし、明治から昭和までの文学的好尚のなかで荷風の作風がどんなに際だっているかを語る話術はすごい。とりわけ鈍重退屈な自然主義全盛への文壇へ『あめりか物語』『ふらんす物語』をたずさえて再登場したころの清新な風趣を論じたくだりなど、文学史家には絶えて見られぬ芸だろう。この文学史的話術の妙が特色の第二か。ただし惜しいことに、『あめりか物語』と並ぶ傑作とする『墨東綺譚』についてはこういう語り方はしていない。あれは軍人支配の時代への厭がらせとして喝采を博したものなのに、小島には事情が見えていないらしい。そして『腕くらべ』『おかめ笹』を軽んずる態度は、小島の芸術が実は私小説であることを明らかにするはずだ。

 逸してはならないのは文壇ゴシップ集としての興趣である。たとえば永井荷風編集のころの『三田文学』の原稿料は『中央公論』よりもよかった。芥川龍之介は小島がいくら褒めても荷風を認めようとしなかった。ヨーロッパ帰りの美術史学者沢木四方吉は三田の文科を立て直すため、芥川を英文科の教授として招こうと企てた。折口信夫を迎えたのも沢木の案。新橋の芸者富松は荷風と別れたあと、若い美男の株屋、槙金一と親しくなったが、彼は小島の俳句仲間。そのせいでいろいろ耳に入ってくるのは……おや、残念ながらここで話を打ち切るしかない。