『小説 永井荷風』  


週刊朝日 

  師と慕う荷風への愛憎が交錯する幻の本     評論家 川本三郎
       平成19年(2007年)11月16日

 いわくつきの荷風本。
 昭和47年(1972)に校正も終わり、いよいよ出版という時に、永井家の許可が得られなかったために出版が出来なくなった。その幻の本が30年以上たって陽の目を見た。
 小島政二郎は東京の下町、下谷の生まれ。江戸っ子文士といわれた。芥川龍之介は菊池寛との交流を描いた自伝的小説『眼中の人』や文壇もの『鴎外・荷風・万太郎』、食の随筆『食いしん坊』などで知られる。
 小島は少年時代から同じ東京出身の永井荷風に傾倒。荷風が慶應義塾の教授になったので、荷風を追って慶應に入ったほど。
 ところが文壇に出た小島は荷風の逆鱗に触れてしまう。「尊敬の一心を込めて書いた『永井荷風論』によって、――十のうち九までは礼賛の誠をつらねた中に、ホンの一つ、私が荷風文学の病弊と見た点を指摘したことによって、彼の怒りを買った。九つの真心は彼の胸に届かず、僅か一つの直言によって終生の恨みを招いた」。
 師と慕う荷風に忌避される。その無念の思いが込められている。「小説」と銘打たれているが随筆風の評論になっている。荷風への愛憎が交錯し実に面白い。
 荷風の心の狭量狷介はよく語られるが、小島はそれをまざまざと見せられてしまった。といって一方的に荷風を批判しているわけではない。「その作家に愛を感じるまで批評をするな」(『眼中の人』)という信条の主だから、批判はしても根本のところで荷風への敬愛が見える。
 少年時代の小島にとって、洋行帰りの荷風がいかにハイカラで颯爽としていたか。暗くくすんだ自然主義の文学の時代に「あめりか物語」はいかに明るい青春の文学だったか。「断腸亭日乗」に比べると語られることの少ない「西遊日誌抄」を、ここには青春の煩悶があると評価しているのも興味深い。
 しかし、荷風はその後、文壇に熱く迎えられたために気がゆるみ、見るべき作品が少なくなる、と次第に小島の筆は厳しくなる。「すみだ川」など「人生に触れる」ことを忘れてしまった作品だ、「新橋夜話」などただ人情を見ているに過ぎない。「芸術家ともあるものが、人情などに興味を持ってはおしまいだ」「『新橋夜話』時代の荷風は、堕落時代だ」と手厳しい。
 それでいてのちの「?東奇譚」は評価するし、荷風文学の良さはその風景描写にある、荷風は目に見えない心理を描写するより目に見えるものを楽しむ「ヴィジュアライザー」だと指摘するところなど荷風の特質をよくとらえている。
 批判と評価、険悪と愛憎が右に揺れ、左に揺れる。そこに本書の複雑な面白さがある。
 作品を離れて荷風の人となりも痛罵する。とくに二点。
 ひとつは昭和はじめの円本ブームの時。荷風は初め、これを文学の堕落と悲憤慷慨していたのに、のちにそれを忘れたかのように自分も円本の仲間入りしてしまう。なんと節操のないことと小島は怒る。
 もうひとつは、荷風が素人の女性と結婚しておきながら、わずか半年ほどで離縁したこと。女性が可哀そうだと小島は義憤にかられる。
 罪もない素人の女性をキズ物にして離縁するとはなんと非情な。「冷酷無慙な荷風の性格の無責任さを私は責めずにはいられない」。
 そして小島は、知人を通して知ったこの女性の優しさを、そこは小説仕立てで描き出している。
 荷風の特異な女性観はこれまでもさまざまに批判されているが、この最初の奥さんをこれほど擁護し、荷風を激しく批判する人は珍しい。
 結局、小島は、荷風という人は遠くから眺めているに限る、近づくと気まずくなるのが落ちだという。
 しかしこれだけ嫌な奴といわれても「?東奇譚」や「断腸亭日乗」は今日も名作として読み継がれているところに文学の不思議がある。