『風になった覚さん』  
   グライダーで大空に夢を描いた男 


信濃毎日新聞 斜面より
       平成19年(2007年)8月 5日

一度だけグライダーで空を飛んだことがある。もちろん、操縦は後ろの席のベテランまかせっきりだったが、これは実に爽快だった。視界を遮るものがない。耳をつんざく音がない。体だけが空に浮かび運ばれる感覚。
 グライダーといえば信州だ。発祥の地は霧ヶ峰だし、これを広めた功績者は諏訪生まれの故原田覚一郎さん。誘ったのは、幼なじみで後に在野の考古学者として名をはせる藤森栄一だ。そして、霧ヶ峰に最初にグライダーを持ち込んだのが、同じく諏訪出身で元中央気象台長の藤原咲平である。
 「風になった覚さん」(鳥影社)は原田の評伝だ。晩年の彼にぴったり寄り添って過ごしたジャーナリスト・久木田雅之さんが書いた。空にあこがれた原田少年が唐傘2本を手に屋根に登り、えいっと飛んだまではよかったが、あえなく落下、気絶……など挿話も豊富だ。
 だが、原田の真骨頂は反戦にあった、と久木田さんは思っている。開戦とともに教え子たちは次々に戦場へ送られ、多くが帰ってこなかった。なまじ空を飛ぶことを教えたばかりにー。戦後、自責の念に苦しみ続けた原田さんは某夜、夢の中で彼らと再会し、涙を流す。
 霧ヶ峰では今も、グライダー教室や講習会などが続いている。諏訪市グライダー協会理事長の上原孝義さんは、ここにグライダー博物館を、という原田さんの悲願を忘れていない。何とか実現させたいものだ。