19世紀ドイツを「米国移住熱」が覆った (青山学院大教授 <英文学> 富山 太佳夫 評)
もしマルクスが今の時代に生きていて、何事につけアメリカ中心の世界の経済や政治をまのあたりにしたら、一体何と言うだろうか。その思索を激烈な言葉にするまえに、自分でさっさとどこかの病院に逃げ込んで、鐵の扉をとざしてしまったがろうか。
こんな暇な想像をいくらしても仕方がないかとは思うものの、それにしても、トーマス・マン、アドルノ、ホルクハイマー、フロム、マルクーゼと、ドイツ語圏から自由と平等の新天地アメリカ合衆国に(一時的にせよ)移り住んだ知識人は数多い。そうか、俳優をやっていたシュワちゃんにしてもそうだ。と言うことは、こうした有名人以外にも、ドイツ語圏からアメリカに移住した人々がたくさんいたはずだということでもある。
19世紀の半ばにドイツで出版されたある小説の中には、すでに、「国中どこを探しても……兄弟姉妹か、親戚か、はたまた知人の誰か一人くらいはアメリカにいないような家は一軒も存在しなかった」という文が出てくるという。その背景には、当時のドイツの農村に拡がったすさまじいがかりの「アメリカ移住熱」があった。『アメリカにうんざりした男』(1855年)という長編小説まで出ていたという。
ドイツ系の移民がいかに多かったかを示す具体的な数字もある。1990年の国勢調査の結果によれば、体内にドイツ系の血が半分以上流れているアメリカ国民は5800万人ほどで、英国系よりも2500万人以上多いとのことである。白人、黒人、ヒスパニック系、アジア系といった線引きをすればすむ話ではないことくらいすぐに分かるだろう。
問題は、そのようなドイツ系の移民たちがアメリカの中でどのように生き、成功していったのか、あるいは失敗して祖国に戻ったのか、その結果、ドイツの内部にはどのようなアメリカ像が形成されていったのかということである。政治、経済から始めて文化、芸能、スポーツにいたるまでことごとくアメリカ流儀になってしまった日本という国に生きていると、19世紀以来のドイツの対アメリカの姿勢は実に興味深いものとなる。げんに役に立つはずなのだ。
にもかかわらず、歴史家も、思想史家も、独文学者も、誰ひとりとしてこの問題に眼を向けようとしなかった。山口知三『アメリカという名のファンタジー 近代ドイツ文学とアメリカ』は初めてこの問題に挑戦した本である。面白い、抜群に面白い。70歳を迎えた研究者に、私は最大限の敬意を払う。
この本の中ではラーベ、ハウプトマン、トーマス・マンの作品に含まれているアメリカ像が検討されているのはもちろんのこと。アメリカに行ったこともないのにアメリカ西部小説を書きまくって、200万部も売ったカール・マイにも当然ながら話は及ぶ。いや、それ以外にも、通常のドイツ文学史では黙殺されてしまう作家たちが次々に登場する。例えばプロイセンの青年貴族とアメリカのブルジョワ娘の恋愛物語を軸におく小説『抗しがたい力』(1867年)――エマーソンそも交流のあった著者ヘルマン・グリムの父は有名なグリム兄弟の弟の方である。そして、19世紀のドイツで最も人気のあったベルトルト・アウエルバッハ。この小説家を論じた60頁は素晴らしい。ドイツとアメリカの双方を生かす可能性を探ろうとしたこの作家を抹殺し、文学史から消してしまったのはナチス体制であった。このユダヤ作家の存在を、私はこの本で初めて知った。